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心の抽斗には、強烈にして鮮明なる記憶・何人たりとも不可侵である自由な思想が大事に仕舞われている。この世に唯一の、自分だけの心の財産を想いのまま文章にしてみよう。
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05.03.13:34

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  • 05/03/13:34

10.24.22:50

お父さんお疲れ様でした、そしてありがとう

ここ1週間はいつになく慌しい日々でございました。
相変わらず仕事が忙しいから?
確かにそれはあるのですが今回ばかりはそれだけではありませんでした。

2009年10月17日13:35
今から丁度1週間前に私の父が亡くなりました。
享年58歳、この年代ですとまだまだ会社で元気に働いてる方もいるというのに。
葬儀にいらしてくれた方が「お父さんまだ若いのにね」とよく言われたほどでした。

「進行性核上性麻痺」

それが、父が最後に診断された病名でありました。
最初のころは若年性認知症とか診断されたのですが
大きい病院にてMRIをとったところ上記の病名が判明したわけです。

つい3年くらい前までは健常な方と殆ど変わらず元気だったのに
次第に病状は進行していき、今年の3月茨城県にある病院に入院したころには
自力での歩行も困難になっていたほどでした。

茨城県の病院にきてからは寝たきりになってしまい
見舞いに行くたびに父の体がどんどん痩せ細り
元気だった頃とは比べ物にならないくらいに小さくなってしまいました。
食事も嚥下が困難になったため、流動のものに変えたのですが
病気が初期の頃はご飯一粒も残さずしっかり食べていただけに
食べる楽しみまで奪われてしまったのか、と見ているほうも辛いものでありました。

そして、会話。
亡くなる2~3ヶ月前になると自分から言葉を発することさえできず、
私や母、看護師さんなどの言葉にたまに「んー、んー」と僅かに返答するのみに。

自力で体を動かせない、意思を伝えることさえ困難
そんな父を見てはじめて、自分が大人になってからというもの
父との思い出になるようなことが何にもなく、
親孝行さえ特にしてないことに気がついたのですが、時既に遅し。
父はこんな最期を望んではいなかったのに
自分は何にもしてあげられないという、やるせなさというのでしょうか。
この文章を書いている現在も、後悔という感情と涙が溢れている状態であります…。

子供のころ、色んな所に遊びに連れていってくれたお父さん。
夏休みの自由研究の宿題で木材で貯金箱を作るのを手伝ってくれたお父さん。
部活でグローブがいるということで、一緒にスポーツ用品店で買い物をし、
休みのときにはよくキャッチボールの相手してくれたお父さん。
風呂上りにドライヤーで髪を乾かそうとしたとき、何故か手伝ってくれて
大きな手が頭に触れるたびに心地よく何だかんだいってとても優しかったお父さん。

自分が大人になってからは、一緒に行動することが殆どなくなってしまい
一緒に酒を飲み交わす機会さえ一度も適わなかったことが今になって悔やんでおります。
お酒の大好きだったお父さん、一番最初にアルコール依存症と診断されてからというもの
一滴もお酒を飲まなくなりちょっと可哀想ではありました。

失ってはじめて気がつき後悔するのはよくあることだと思っておりましたが
こうして直面してしまうと本当に取り返しのつかないことなんだなと実感するものですね。

長くなってしまったのでそろそろ締めにはいりましょう。

遥か彼方へ旅立ってしまったお父さん。
大した親孝行もできずに冷たい態度ばかりとっていて本当にごめんなさい。
残された家族(母・弟)は私のほうで頑張って支えますから安心してください。
これからはお酒とかチョコレートとか我慢することなく
好きなものを好きなだけ食べられますから、おいしいものをたくさん味わってください。
長い間、私たち家族のために一生懸命に働き支えてくれてありがとうございました。
私にとってお父さんは一番身近で大好きなヒーロー的存在でした。
今後は、私たち家族のことを遠くから温かく見守っていてくださいね。
お父さん、本当にお疲れ様でした。そしてありがとう。
私は貴方の子供で本当によかったと胸を張って誇りたいと思います。


おまけ。
父が亡くなる2日前に病院に呼ばれて父と会ったのですが
(酸素マスクをつけ、自力で呼吸するのも辛そうでした)
そのときに最期に交わした会話が

(携帯が鳴って母が病室から出ていったままいつまでたっても帰ってこないので)
私「相変わらずお母さんは電話が長いよねぇ…」
父「んー。んー」


最期の会話がこんなのでごめんね…_| ̄|○
10日前くらいに誕生日を迎えていたんだから歌くらい歌ってあげればよかったなぁ( ´ー`)

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